前回の記事に続き、今回は大分(2/21)での説明会についてご報告します。場所はお寺ではなく大分県総合社会福祉会館、39名もの参加がありました。
大分での特色は何といっても、大分県内の社会福祉協議会(以下、社協)と協力する形で開催できたことです。大分県社協をはじめとし、豊後高田・宇佐・竹田・臼杵の各市社協の職員さま方が足を運んでくださいました。
大分県社協では「フードバンクおおいた」という取り組みがあり、その活動報告もしていただきました。地元の先駆的な取り込みに対して、参加者は熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
そして社協職員さま以外にも、ご寺院、子ども食堂を運営する方、子どもの居場所支援に取り組む方など、様々な立場の方が来てくださいました。福岡に続き大分でも説明を担当してくださった遙山さんから、次のような示唆に富む報告がありました。
「さまざまな活動をしている人たちが、それぞれの地域(市や町レベル)で直接つながる場となり、意義の大きなものとなった」
「ある意味、直接の当事者ではない、お寺というものの存在が、いろんな立場の人をフラットに結び付ける触媒として有効に作用している」
説明会を開くことの大きな目的の一つは、おてらおやつクラブの仕組みや根元の想いを広くお伝えし、寺院・団体と連携して支援ネットワークを広げることです。しかし少し違った視点から眺めてみると、間接的な成果として、地域のネットワークづくりの一助となるという側面もあるようですね。支援内容や対象が異なる様々な団体どうしが意見交換できたり、「何かしたいけれど具体的な方法がわからない」と思っている人と団体が出会えたり、そんなフラットな交流の場になりました。
地域のいろんな人を繋げる効果には、お寺の持つ「公共性」が作用しているような気がします。お寺は全国津々浦々どこにでもあり、多くのお寺が基本的には誰にでも開かれています。そして地域に根差して何十年・何百年と続いてきた、いわば「地域の定点観測地」。多くのお寺が、地域の人のニーズや困りごとをキャッチし、地域住民どうしのつながりに貢献してきた歴史をもっています。そして長い目でいっしょに課題に取り組むことに長けています。そういったところに「お寺が貧困問題に取り組む」ことの意味・強みが見出せるのではないでしょうか。
最後に、当日参加された皆さまからの声を紹介します。福岡でも多くの感想がありましたが、今回もさまざまな立場からの想いが綴られています。
■■ 参加者からの声 ■■
<お寺さまから>
- 地域にたくさんの困っている方がいるとわかり、お寺としての役目を今一度考えさせられた。
- お供えの気持ちをリレーして、ひとり親の家庭へ気持ちをつなげていくことなのだとわかり、良かったです。また、他の寺院の方にも声をかけてみます。
<団体さま、有志個人さまから>
- おてらおやつクラブさんをとおして、こどもの貧困について、支援している方々が見えて良かった。
- この活動をひとつのきっかけとしながら、苦悩を抱える方に何ができるのか考えていきたい。
- 日本の社会は豊かな社会という幻想をあらためて知ったような気がする。大阪の母子の餓死事件で「お腹いっぱい食べさせてあげられなくてごめんね」と遺された言葉が、そのことを如実にあらわしているように思う。
- 孤立という状況が社会から、生活から、様々な背景があり考えさせられました。確かにお寺はたくさんありますし、心の孤立している相談者に対して何かアクションを起こせればと考えました。お寺さんは近くて遠いイメージだったのですが身近なものになりました。