先日4月21日に、広島県のおてらおやつクラブ参加寺院、西念寺さま(大竹市、浄土宗)と超覚寺さま(広島市、真宗大谷派)をお借りし、午前・午後の2部だてで説明会を開きました。
参加者は、午前・午後あわせて12名。
この日は雨模様で、晴れの日が多いはずの瀬戸内の気候こそ歓迎してくれませんでしたが…
そのような中でも足を運んでくださる方がいらっしゃり、温かな場を持てたことを心から有り難く思います。
広島県での説明会は初めてでしたが、なぜ広島で説明会を開催するに至ったか…
それは次に示す数字を見ていただければすぐにご理解いただけるかと思います。
中国地方におけるおてらおやつクラブ活動状況(説明会当時)
・参加寺院数:20か寺(岡山2、広島7、山口4、鳥取2、島根5)
・支援団体数:1か所(島根)
ご覧のように現在中国地方においては、おてらおやつクラブの活動の周知がまだまだ十分とは言えず、この地域のより多くの方々に直接お話を聞いてもらいたい、との想いから広島での説明会開催にいたりました。
今回の説明会では市役所の福祉課児童係の方や、子育て支援NPO(市委託)の方等がいらっしゃり、説明会後に問い合わせいただいた方も既にあり、中国地方での「ご縁の輪」が更なる広がりの兆しを見せています。
引き続きご寺院・団体さまともに、協働していただける方を探していますので、ご参加・ご紹介をお待ちしております。
…と、いつもお願いばかりしていて恐縮ですが、今回の旅では皆さんにもお伝えしたいこんなお土産話も持ち帰ってきました。
午後の部の感想シェアの場でのこと。
超覚寺ご住職の和田隆恩さんから、広島のとある人物についてのお話を伺いました。
それは、「広島のマザー・テレサ」と呼ばれる一人の女性の話です。
その女性は、家庭環境に恵まれず空腹から非行に走る青少年を支えようと、30年以上にわたり自宅で手作りの、温かい食事を若者にふるまっているとのこと。80歳を超えた今でも、そのような活動を個人的に継続されており、ご飯を食べにくる若者たちからは「ばっちゃん」の愛称で親しまれているそうです。
後日、気になって詳しく調べてみると、その女性のお名前は中本 忠子(なかもと ちかこ)さんといい、次のようなバックグラウンドをもつ方でした。
中本さんは21歳で結婚。3人の男の子を授かったが、末の子が生まれた直後に夫を心筋梗塞で失う。父親の記憶がないほど幼かった3人を女手ひとつで育てた。
1980(昭和55)年、中学校のPTA役員になった。学校は荒れており、警察に補導された生徒らを忙しい保護者の代わりに迎えに行くうち、顔見知りになった警察官に「保護司になりませんか」と声をかけられた。
保護司とは、保護観察処分になった少年などの更生を助けるために法務大臣から委嘱される地域ボランティアのことだ。
『当時は、それって何? という感じよね。でも、わからんけどええよって(笑い)』
これが、現在の活動につながるきっかけだった。2年後、保護司としてシンナーをやめられない中学2年の男子生徒を担当した。
『骨の上に皮が乗っかっとるような状態で、顔色は気色悪いほど青い。髪にも服にもシンナー臭が染みついて、誰も寄りつこうとせんかったよ』
袖の中に隠し持ったシンナーを手放そうとしない少年と向き合うなかで、ある日、こう尋ねた。
『なんでそんなにやめられんの?」
すると予想もしなかった答えが返ってきた。
『腹が減ったのを忘れられるから』
少年は母子家庭で、アルコール依存症の母親から食事を与えられていなかった。中本さんはしみじみと振り返る。
『すごい衝撃よね。この時代に食べられない子がいるなんて考えてもいなかった』
空腹に気づけなかったことを詫び、その晩から毎日、少年のご飯をこしらえた。お腹いっぱい食べられるようになった少年はシンナーをやめ、同じような境遇の友人を中本さんのもとへ連れてくるようになった。行き場のない子たちの『たまり場』になった。(週刊女性PRIMEより引用 http://www.jprime.jp/tv_net/human/24231)
最近「子どもの貧困」というコトバにスポットが当てられはじめ、子ども食堂などの取り組みが同時多発的に各地で行われるようになったり、貧困問題に対する事業に国や各自治体から補助金がつきやすくなったりと、問題解決に対する動きが顕著になりつつあるように見受けられます。
しかし「子どもの貧困」(だけに限りませんが)というコトバが取りざたされ、私たちがそれを認知する以前に、諸問題は確かに存在する。それも、「遠いよその国の縁遠い話」ではなくこの日本で。かつ今に始まったことではなく前々から―。
中本さんのエピソードに触れ、そのことを改めて強く考えさせられます。
それは上の文中にもある「すごい衝撃よね。この時代に食べられない子がいるなんて考えてもいなかった」という中本さんの言葉に端的に表れていると思います。
普段の生活を営む中では、もしかしたら困っている人が視界に入りにくい、ということがあるかもしれません。しかし自分の周りにも、自身が見えていない・聞こえていないだけで、たくさんの「助けて」というシグナルが発せられているのかもしれない―。
そのように想像力を働かせることで、自分自身にも違った視野が開けてくるのではないでしょうか。
「困っている人・苦しんでいる人なんて見えないから、私の周りはきっと大丈夫なのだろう」という楽観的な「想像力の貧困」に陥ることなく、目を向け、耳を澄ます。そうして繋がった誰かを支えることが、巡り巡って自分の世界を広くするのだろうと思います。
今回の旅は、そんなことを今一度深く考える貴重な時間でした。
ここに改めて、今説明会でお会いしたすべての方々に感謝いたします。
(文・林昌寺副住職 野田芳樹)