おてらおやつクラブとシェアリングエコノミー

おてらおやつクラブ理事(マーケティング・寄付相談担当)の福井良應です。和歌山県紀の川市の興山寺で副住職を務めています。事務局からは遠いため、普段はITツールを使ってリモートワークで参加しています。

もう早いもので1月も最終週ですが、今年の計画は立てましたか?

おてらおやつクラブでは、年末になると愛書家の松島代表が「今年の3冊」を発表します。それはすなわち、事務局メンバーの冬休みの課題図書。本を通じて来年の方針を伝えるのが、おてらおやつクラブ流。

2019年の3冊は次のとおりでした。
① 小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』春秋社、2019年
② 太田雄貴『CHANGE 僕たちは変われる』文藝春秋、2019年
③ 山口つばさ『ブルーピリオド』(アフタヌーンKC)講談社

本来は3冊すべてを読了したうえで、松島代表の意図を読み解き、新しい年の活動方針を構想することが私の課題でしょう。(みなさんからも助言をいただきたい)

でも今回は「①がダントツのNO.1」という松島代表の言葉を手がかりに、私なりに①から読み取れることをここに提示してみたいと思います。


①は、香港にあるチョンキンマンション(安宿&複合施設)が舞台。そこに集うタンザニア人商人たちが作り上げてきた独自のアングラ経済圏や、それを生み出す日常生活や仲間たちとつながる仕組みが紹介されます。

「100%信頼できる人はいない」という意識が前提にある彼ら。そんな彼らが行き着いたのは、「私があなたを助ければ、だれかが私を助けてくれる」という助け合いの仕組み。タンザニア人たちが異郷の地で「ともに生きること」を大切にしている様が、文化人類学者の目線で興味深く語られます。

そんななかで著者は、現在の日本社会の風潮を次のように読み解きます。

いま私たちが生きている世界では「安心」「安全」が叫ばれ、未来を予測可能にし、リスクを減らすべきだという考え方が前面に押し出されている。

この考え方は「くれるという確約がないと与えることができない」社会的慣習を強化し、即時的に「貸し」「借り」を精算しようとする態度を生み出す。メールも親切もすぐに返さないと不安だ。【中略】

そうした関係では、私が与えたものと相手がくれたものが等価であるか、その場その場で貸し借りの帳尻があっているかが常に気になる。(同書p.242)

どうでしょう、この分析。私は思い当たるフシがあります。。。

さて、ここ数年ビジネスのキーワードとして語られる「シェアリングエコノミー」は、モノ・場所・スキル・時間を共有し、少しでも無駄を減らして社会全体で効率性を高めようという考え方を基にしています。カーシェアリングや民泊はその代表事例ですね。

ところが、そのシェアリングの輪のなかで、ひとたび信頼を損ねてしまったら大変です。もし、私が誤って(借りた車を傷つけるようなことをして)自分の信頼の格付けを下げてしまったらどうなるか。

私はデータを基にシェアリングの輪から遠ざけられ、信頼回復の機会も得られにくい状況におちいります。こうした相互評価の冷酷さ、恐ろしさを経験された方もおられるでしょう。

シェアリングエコノミーは社会の無駄を効率的になくしていく仕組みではあるけれども、それと同時に人間同士の寛容さを損なってしまう弊害もありそうです。

一度大きな過ちを犯したら自業自得と責められ、立ち直るのがとても大変。昨今の社会の風潮が、こうした影響を受けているように感じるのは私だけではないはずです。

ひるがえって、おてらおやつクラブの活動は仏教の考え方をもとに「ともに生きること」を掲げた活動です。

お供えをおすそわけするという活動は、ある種のシェアリングエコノミーの仕組みではあるけれども、効率性よりも「ともに生きること」が主眼に置かれています。これは香港のタンザニア人コミュニティとも共通する、生きる知恵なのかもしれませんね。

まだまだ道なかば!
おてらおやつクラブのボスは、この本を通じて私たちに檄を飛ばしているようです。

今年も「おそなえ・おさがり・おすそわけ」をよろしくお願いいたします。